あのとき、私は心のどこかで思っていた。
「父が外出できるのは、これが最後かもしれない」
両親と妹と私の4人で、日帰り旅行に出かけた。
海沿いの道を走る景色は、少しだけ春の香りが混ざっていた。
私は念のため、釣り竿を車のトランクに忍ばせていた。
旅行先で海沿いを通ることが分かっていたからだ。
帰り道、海沿いの小さな堤防を見つけた。
思わず車を停める。

「お父さん、釣りする?」と聞くと、父は静かに首を横に振った。
「見てるだけでいい、お前がやれ」
父は座って、海を眺める。
私はその横で、竿を一本だけ出した。
あんなに釣りが好きな父が、竿を出せなほど弱っていることが悲しかった。
父と私はずっと浮きを見ていた。
以前、二人で瀬渡しで磯に行き、50cmのチヌを釣ったことや、
釣りを覚えたての頃、要領が悪くて父に叱られたこと、
爆釣を期待しワクワクしながら釣り場へ向かったこと、
これまで父と釣りに行ったことを思い出した。
「体調がよくなったら、今度は1日中釣りをしよう」
父は「そうだな」と言う。
釣りの時間はほんの小一時間ほど。
その頃の父は、座っているだけでもやっとの状態だった。
でも、あの短い時間が、父と一緒に過ごした最後の釣りになった。
もっと釣りのこと教えてもらいたかった。
もっと、いっぱい一緒に行けばよかった。
波の音、潮の匂い、父の穏やかな表情――
今でも鮮明に思い出せる。
実は、この1年後に偶然に、父と最後に行った釣り場の近くの空き家と出会った。
購入した後で、なんとなく見覚えのある海を見て、父と最後に行った釣りの事を思い出した。

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